プライベート相談専門の不動産屋にかける想い
株式会社すまいる情報東京のホームページへ、ようこそおいでいただきました。
代表取締役社長の竹内健二(たけうち・けんじ)です。
私が不動産の仕事を始めて、35年経ちました(2017年現在)。
学校を卒業して大手の不動産会社に入社し、たくさんの不動産取引に関わりました。
しかし、本当は、不動産を売買することより、その後のお客様に、いつも関心が向いていました。
と申しますのも、不動産売買は、その瞬間の要望には合っていますが、人生の航海を進んで行くあいだに、思ってもみないことが節々で起こることが当然だと思っていたからです。
その時に、そばに寄り添って、人生の課題を一緒に解決するお世話役になりたいと常々思っていました。
なぜなら、不動産の売買は、お金のことから家族関係のことまで、かなり深い事情を察しながら進めるので、取引を進めるに従って、お客様と信頼関係がどんどん深まり、親戚友人のような情が生まれていたからです。
しかし、大きな組織では、そのような活動は許されません。次々に売るべき物件があり、売っておしまい、買っておしまいにならざるを得なかったのです。
そして、10年勤めて退職し、不動産売買のアフターフォローの会社を立ち上げました。
ご縁あって、その後、すまいる情報と合併し、現在に至っております。
しかし、アフターフォロー中心に営業を始めてみますと、お一人お一人の事情やお考え、家族の状態、資産背景が、二つとして同じことがなく、広範囲にわたることが分かりました。
家を売ったり買ったりするお客様の、裏側にある気持ちや悩み、希望などに触れて、これは生易しいことではないぞ、と腹を据え直しました。
まずは10年、どんな相談が来ても、出来ません、とは言わず、とにかく受け止めて、自分も必要な勉強をしながら、同じ気持ちで一緒に解決していただける専門家の知り合いを増やすことに専念しました。
少しずつ、相続の問題や、認知症、ご離婚、資産継承、事業拡大など、プライベートなご相談にお応えできるようになりました。
さあ、本格的に会社の舵をプライベート相談型に変えよう、としていた矢先、2011年3月11日、東日本大震災が浦安にも液状化という問題を引き起こしました。
沼のようになった街で、不動産の仕事はほぼ半年なくなりました。
しかし、この試練は、自社のことしか考えない業者と、本当に信頼できる業者を、ふるいにかけるお天道様のテストだと思いました。
この震災時の様子と私の考えはこちらをご覧ください。
→ 日経トップリーダー2011年6月号「『液状化の街』の不動産会社 作用と反作用を見定め 新しい浦安を住民とつくる」(PDFファイル:413KB)
この震災をきっかけに、過去お世話したお客様宅にうかがったり、不動産以外のことをお手伝いしたりする場面が増えていきました。
それにしたがい、世の中がどのような状態でも、仏教でいう「生病老死」の問題は、不況だろうと何だろうと、お一人お一人には重大なこととして、話をよく聞いてくれ、理解し、承認して、一緒に解決にあたってくれる人が望まれているのだと確信しました。
(写真は、震災直後に、お客様のお家の泥掻きをお手伝いしているところです)
また、浦安一店舗より、都心部にもお店を設けることで、何かが起こっても、最悪どちらかで絶え間なく対応できると考え、東京にも出店することとしました。
場所は、お客様の親族のご相談も増えると思い、地方に出かけやくし、また上京の折には、訪ねやすい場所として、東京駅近くの日本橋小伝馬町にしました。
浦安店では、長年駅前のショッピングセンター内にあったお店でしたが、今までご縁があって信頼関係が出来ているお客様のプライベート相談専門でやって行くには、通りがかりの初めてのお客様が多いショッピング内はかえって不都合だと思い、駅から離れたお店に移転しました。
ますますコンピュータによる物件選びは進んで来るでしょうし、人口知能などもいずれ活躍する時代になると思います。
コンピュータが得意なことはコンピュータに任せ、それでも人が関わることでより良い解答が得られるものは必ずあり、なくてはならない存在となることを目指しております。
それは、人の情であり、共感であり、傾聴であり、感動であり、そして、それらを背景としたプロとしての解決能力と専門家ネットワークの提供だと確信しております。
自分がお客様の立場でも、ぜひ相談したい会社、出会いが人生の宝だと言って頂ける会社を目指して、プライベート相談専門の不動産会社「ザ・プライベート・リアルター」をスタートしました。
どうぞ、ご縁が深まり、またご紹介の輪により、新たな素晴らしいご縁が生まれます事を願ってやみません。
株式会社すまいる情報東京
代表取締役社長 竹内 健二