こんにちは、すまいる情報代表の竹内です。
いま虎ノ門で写真展を開いているソール・ライターという写真家は、相談者としての私の立ち位置に大きな影響を受けた写真家です。
1950年代に一流ファッション誌の写真家として、カラー写真のパイオニアとまで言われた方ですが、50代で忽然と表舞台から姿を消してしまいました。
亡くなるまで自宅周辺から離れることなく、ニューヨークの街中の色彩と詩情を写し撮って、ほとんど公表することなく生涯を終えました。
「取るに足りない存在でいることは、計り知れない利点がある」
「私が写真を撮るのは自宅周辺だ。
神秘な事はなじみ深い処で起こる。
何も世界の裏側まで行く必要はないのだ」
という氏の言葉は、日常に神秘の断片を見つけられる人でもあったのでしょう。
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私の母は、93歳で生涯を閉じるまで、ほとんど生まれ育った周辺から出ることもなく、生涯一度だけ箱根の関を越えたのは、私が連れて行った京都だけという一生でした。
なんて狭い世界で生きていたのだろうと思っていましたが、ライターの生涯を知って、きっと母には、何でもない日常に、喜びや神秘、それは路傍の花かも、わずかな回りの人との出会いかも知れませんが、普通の中に特別なものを感じとれたのだろうと、今では思えるようになりました。
普通という言葉は、取るに足らないとか、特別ではないというようにマイナスイメージで使われます。
しかし、普通の中に際立ったところが一点あるはずです。
普通の人の中のすごいところに気付いて、敬意をもって人間関係を紡ぐ、これが私の立ち位置です。
母は80歳過ぎまで団子屋で働いていました。
子供の頃に自身の母を亡くした中高年の何人かのお客様が、私の母に幼いころ亡くした自分の母の面影を見に、団子を買いに来ていたと亡くなった後に店主から聞きました。
私に遺伝している部分があるとしたら、会うと元気づけられる存在でいよう、誰かの面影でいようという点かもしれません。
人生で何を成し遂げたかでなく、どれだけ豊かな人間関係を築けたかが大切だと思います。
最初の出会いは偶然でも、再会するには関係を紡ぐ意思がないと必然にはなりません。
普通の人の中の、すごい部分が、普通の中の神秘と呼べるかも知れません。そんな隠れ身の方と出会えたなら、なんと大きな喜びでしょう!
竹内 健二
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