こんにちは。すまいる情報代表の竹内です。

めっきり涼しくなり、四季の変わり目を感じます。清々しい気持ちになれる、この時がとても好きです。

 

 

月に一冊ほど読む絵本の中で、最近読んだ「バスが来ましたよ(アリス館刊)」は、清々しい気持ちになったお話でした。

疾患で40代に失明してしまった市役所勤務の男性が、通勤のときに乗るバスで、同じバスに乗る小学生の女の子から援助を受けた実話です。

 

慣れない盲目の生活で、バスが来たことが分からず乗り過ごしてしまったこともある男性に、小学生が「バスが来ましたよ」と毎日声をかけて乗る手伝いをしたのですが、小学校を卒業すると同じバスに乗らない通学路になってしまったそうです。

 

でも、「バスが来ましたよ」の援助は、男性が定年を迎える間際まで十年以上続きました。

その役目が、女の子の妹にリレーされ、またその友達にリレーされて行ったからです。

 

清々しさのリレー

 

このお話に清々しさを感じるのは、最初は声がけをためらったのかも知れませんが、思ったことが、すぐ行動に出る淀みのなさと、十年以上もリレーされて、他の子供の中にある親切な心を引き出したことです。

 

 

「すがすがし」という言葉は、古事記や万葉集、源氏物語にも出てくるそうですが、古語辞典によると「すが」と「過ぎ」が同じ語源で「物がつかえずに通り過ぎてゆく、すっきりした様、ためらったり止まったりしない様」という意味との事です。

なるほど神社の境内の風が涼やかなのも、清められている場の風だからかもしれません。

 

 

思ったらためらわず一歩出て行動できる人は、余計な自意識がない(自分で清々しくあろうとも思っていない)、ある意味人生の達人ですが、人との出会いの醍醐味は、清々しく感じられる人との出会いがあることです。

 

願わくば、自分も周りの人に清々しい気分を感じてもらえる人生でありたいと願っています。

道元禅師がおっしゃった「自分が彼岸に行かなくても、他の人を先に彼岸に渡してあげなさい、その思いを起こすことが大切なのだ」という言葉にも通じる小学生の損得抜きの行動に、この彼岸の季節に出会えたことに感謝しています。

そんな世の中に向かって行く一歩をどんとん踏み出して行きたいと念じています。

 

 

竹内 健二