こんにちは。すまいる情報代表の竹内です。

七月七日の七夕は全国各地で七夕祭りが開かれ賑やかだったことでしょう。

 

お祭りは、主催者もお客さんも一体になって良い場を作ろうとしている祭りが良いものだと感じます。

よくあるイベントが失敗するのは、「私提供する側」「私お金を払って楽しませてもらう側」という、分離して主客一体になっていない場合です。

 

 

「おもてなし」の源流は茶道の精神です。

招かれた客人と、主人の間で交わされる「主客一体」と「一期一会」の縁。

「今」という時間は、二度とやってこない。

だからこそ共に過ごす時を大切にし、精一杯のおもてなしをする主人。

客人はその心を感じ取って主人を思いやり、「時間」と「空間」を楽しむ。

良い場にしようとする気持ちでは、主人と客人は対等です。

主人と客人が対等ではないサービスという観点で見た「ミシュランガイド」では計れないものです。

 

もてなすものに限りがあって、3しか出せなくても全力で3の力でもてなされたとき、たとえ粗末なものでも感動が生まれます。

しかし、10のものが出せるのに5しか出さなないなら、出されたものは3より大きくても、そこに感動は有りません。

豊かでなかった頃の日本には、両親や街の人も生きるのに全力で、3しか出せなくても出し切る人が多かったように思います。

 

 

星がなくても願いを七夕では願い事を短冊にして笹に括りつけますが、「星に願いを」というディズニー映画ピノキオの主題歌にあるように、流れ星に願いをかけると実現するという言い伝えは世界中にあります。

でも、流れ星はめったに現れません。

運よく見られても、あっという間に消えてしまい、願い事をする時間がありません。

 

ところが流れ星に願いを届けられなかったのに、願いがかなった人がいて、どうやったのか。

いつ流れ星が現れても良いように、何もない夜空に向かって毎日願いを念じていたそうです。

現れたら念じよう(現れない時は念じない)ではダメで、現れても現れなくても、続けて強く思うことで、運よく現れれば、それはそれで良し。

しかし、本当はどっちでも良かったのです。

強く願っていることを知った周りの人や、別の神様が「そんなに実現したのなら助けてあげよう」という力が加わったのだと思うのです。

ぜひ持っているものが多くても少なくても出し切って、足りないところは補い合える良い世の中を日本から作って行きましょう!

 

 

竹内 健二