こんにちは。代表の竹内です。

父の日は皆様のご家庭でもイベントやプレゼントがあったかもしれません。

私の両親とも鬼籍に入った今は、母や父が偲ばれる本を買って読むことにしています。

 

 

母の日の5月は、浅田次郎さんの「母の待つ里」でした。

いつもながらの浅田節で泣けるのですが、東北大震災で息子家族を津波で失った老母が、他人の母を演じる仕事をする話です。

疑似母「ちよ」さんを訪ねてくるのは、実の母を失って心にぽっかり穴が空いてしまった人たちです。

私の母は80歳過ぎまで団子屋さんで働いていましたが、子供の頃に母親を亡くした50代、60代のおじさんたちが、私の母に面影を求めて何人も団子を買いに来ていたと店主から聞いたことがあります。

「みんなのお母さん」「みんなの子供」がいる時代は幸せですね。

 

 

みんなの何かに父の日の今月は「シベリアのバイオリン」という、シベリア収容所に抑留されていた方のお嬢様が書いた物語です。

子供のころからバイオリンが好きで、古道具屋で買ってもらったバイオリンを練習していたところ、時は戦時中で非国民扱いされて弾き難くなってきました。

 

そんなとき、満州は自由で思い切り弾けると聞いて、バイオリン弾きたさに17歳で単身満州に渡りましたが、間もなく敗戦、シベリア捕虜収容所に送られてしまいました。

そして収容所で廃材からバイオリンを作り、収容所慰問楽団を結成することを許可されて慰問に回ったお話です。

 

音楽好きなロシアの所長が、日本向けの短波放送に演奏を流してくれたとき、曲の説明のふりをして、捕虜になっている楽団員の出身地と名前を読み上げ、生きていることを日本の家族に伝えました。

実際、この短波放送を聴いた方が、書き留めて家族に無事を知らせたそうです。

 

私の父もシベリア収容所に抑留されていたこともあり、もしかしたら父も慰問に来た楽団を聴いたのだろうかと想像しました。

シベリア抑留という極限の中で生命力を保てたのは、単に好きなバイオリンが弾けたからだけではなく、それを聴いて涙を流して喜んでくれる人がいたからだと思います。

 

 

「メシが食える大人を育てる」という理念の塾「花まる学習会」を主宰されている高濱正伸さんが、雑誌致知の別冊「母」に書いておられます。

「父親の第一の仕事は妻を笑顔にすること」と。

大変共感する内容ですが、なかなか難行でしょうか(笑)。

 

父親と妻の部分を、お店とお客様、子供と母親、生活と自然などに入れ替えると、しっかりとした思いやりの芯ができるものと思います。

私たちも、みんなの何かでありたい、そして笑顔にするものでありたいです!