こんにちは。代表の竹内です。

コロナ下ですが、いつもと変わらぬ湿度の高いニッポンの夏がやって来ましたね。

自然も人間以外の動植物も、いつも通り泰然自若、こんな時こそ、何が起こっても変わらぬものを見ると、心が落ち着きます。

 

 

先日、めまいが起こり一週間ほど続きました。

脳に異常はなかったので安心しましたが、ずっと船酔いしている感じなので、何も食べる気がしなくて意図せず断食状態になりました。

目が回るので本も新聞も読めず、テレビもインターネットも見られず、真っすぐ歩けないので、目を瞑って横になるか半座する日々でした。

 

頭の中も時々断食図らずも情報も断食することになりました。

しかし聴覚が鋭くなり、風で葉擦れする音、虫の声などよく聴こえるようになりました。

座禅、瞑想ではないので「無」という境地を意図したものではありませんでしたが、何となく頭の中や心の垢落としができました。

僧侶の野口法蔵師のおっしゃる通り、断食座禅で直観力が磨かれる感覚を味わえました。

 

ある医学者の研究によると、人生の最期に人は何に後悔するのか調べたところ「もっと自分らしく生きればよかった」という後悔が多かったそうです。

 

現代人が1日に受け取る情報量は江戸時代の人の1年分に匹敵するそうで、「情報」の多くが誰かの意見、誰かの視線だとしたら、情報洪水の中で、自分の心の声が聞こえなかったのかも知れません。

 

 

断捨離は取捨選択しますが、選択するときに、どれを捨てるか別の悩みが出てきます。

断食のように、選ばないで、すべて空っぽにしてから、すうーっと必要なモノだけ入ってくれれば、悩まずに済み面倒がありません。

インターネットで手軽に情報検索が出来る時代ですが、知りたいことだけ、もっと言えば自分に都合の良い情報だけ集めがちになります。

すぐ近くに大事な情報があっても目に入りません。

 

今回のめまい体験で、自分が「情報」と思っている他人の意見でいっぱい一杯になってきたな、と感じたら、いったん情報も断食して、空っぽにするのも良いと思えました。

 

自分が好きな、詩や和歌、俳句、能や日本画も、言葉や情景をいったん断食して、空っぽにしたあと生まれてくるものかも、と思うと、新たな楽しみが増えそうです。