ふと題名が目に留まりました。フランスの精神分析家で作家のフレムの本の題名です。

不動産の仕事をしていますと、お亡くなりになった親御さんの家を売買することがたまにあります。本の題名のように、まさに残されたお子さんが「親の家を片付け」ることになります。著書では、片付けることの葛藤で、時間が何年も過ぎてゆきます。片付けることで、親との思い出が消えてしまう、思い出と一緒に自分も消えてしまう恐れにもつながるからかも知れません。

この本には「親の家を片付けながら、二人が残したラブレター」という続編があって、父母が交わしたラブレターが何百通も出てきて、自分がどんな両親から生まれたのか、手紙がそのまま物語になっています。

私は手紙形式の文学が好きで、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」、ドストエフスキーの「貧しき人々」、日本では夢野久作や宮本輝の作品などを読みました。もちろん手紙そのものも好きで、言い表せない力を感じます。

自分の父親の遺品整理をした時も、父が受け取った大量の手紙が出てきました。残念ながら父が出したものは見ることは出来ませんが、自分が生まれる前のものなどたどってゆくと、断片的にその生きてきた道筋が見えてきたことを思い出します。また、私が生まれたときに、高名な大阪の四柱推命学の先生に観てもらった返事の手紙、お寺の和尚さんに私の命名の候補を書いてもらった手紙、(それも候補の名前が30位書いてあった) なども出てきました。私の生が父にとっていかに大きな出来事だったのかと初めて知りました。

ところで、以前お世話したお客様が亡くなり、娘さんから亡くなった親御さんの家の売却を依頼されたときのことです。「母が私にくれた手紙の中に竹内さんのことが書いてあります。」と持ってきて下さいました。そこには、本当にいい家に越してこれて良かった、私の名前が出てきて、こういう感じの人で、気持ちを汲みながらやってくれたので、とても良かった、お母様褒め過ぎです、というようなことが書いてありました。「今は母は言うことができないけれど、今でもこの気持ちのままだと思います。この家ともお別れなので、担当した竹内さんへの感謝の気持ちを込めて・・・」と。そのお母様とお嬢様の気持ちが嬉しくて、ありがたくて、私も泣きながら、手紙に向かって何回も何回もお辞儀をしていました。

それ以来、家を売却するときに、軽々しく整理とか処分という言葉は使えなくなりました。本の著者が何年かかかって、最後は片付けることができたように、片付けるとは、文字通り「片をつける」・・・今までのことにきっぱりと心の整理を付けて、新しい人生に向かうことなのだと思います。思い切る、という言葉も「今までの思いを断ち切って、エイっと新しく一歩を踏み出す」意味だと教わったことがあります。
お客様の思い出が詰まった家を売却するお手伝いは日常のことです。我々が依頼された時には、心の片をつけられたことに敬意を表して、新しい一歩にエールを送りながらお手伝いして行きたいと思います。

すべての手紙は、何らかのラブレターだと思います。お客様の遺品の手紙に何と書かれていたいか、そんな気持ちでこれからもお役に立って行きたいと願っております。片を付けられた、秋風のような清清しいお顔で、お互いにお会いできれば何よりの喜びです。

竹内 健二