長野に住む敬愛する作家の丸山健二さんは、庭作りでも有名です。

「荒野の庭」という写真と詩文の著書の一節に

白い花を演じられるのは白い花だけ
赤い花を演じられるのは赤い花だけ
自分を演じられるのは自分だけ

という言葉があります。つい自分を他人と比較して見失いがちになったり、私には中学生の娘がいますが、何か言うときだけ他と比較して小言を言ってしまったとき「いかん、いかん」と自戒するたびに思い出します。

私たちの会社に来られるお客様を見てみますと、一見、似たような生活サイクルで、住まいに関するご要望も同じようなケースがよくあります。例えば、40代のご家族が子どもの成長で広い家を求めている、というようなことです。でもそこには、同じように見えても、子どもの躾に手を焼いているAさん、であったり、個室を与えて閉じこもったりしないか心配しているBさんだったり、背景が微妙に違っています。お客様が、また、そのご家族が、白い花だったらより白い花らしくあるように、そのちょっとした違いに上手く対応できてお役に立ったときは、望外の喜びを感じます。

冒頭の詩文は、

当然至極の事実が胸を打つ

と続きます。詩文の主旨は、自分を生き切れ、というエールだと思いますが、こんな当然至極の事に胸を打たれるくらい、自分らしく生きるのは難しいことなのですね。さらに相手の方の色を見極めるのはもっと難しいかもしれません。でも、大きな喜びのためにはチャンレンジしがいのあることと、これからもお客様とコミュニケーションをとりながら仕事を進めて行きたいと思います。

竹内 健二

前回の「最後だとわかっていたなら」に多数のお便りをいただきました

前回の「最後だとわかっていたなら」に多数のお便りをいただきました。折しも9.11に合わせてニューヨークに行く機会がありましたので、テロの現場であるグランドゼロを訪ねてきました。再開発が進行中ですが、スムーズには進んでいないようです。犠牲者の家族・関係者は「できれば何も建てないでそのままにして欲しい」という気持ちの方も多いようです。全く新しいビルが出来て、事件や自分たちの家族の記憶が風化してしまうのに耐えられない気持ちだと聞きました。「ご破算で願いまして」にならないような再開発の方法は難しいのだと思いますが、ぜひ英知を結集してそのような開発がされんことを、と現地のクレーン車を見て思いました。