こんにちは。
すまいる情報東京の代表、竹内健二です。
いまちょうど夏至です。
夜の七時頃でも、ほの明るい雰囲気が何となくウキウキします。
6月30日には、全国各地の神社で、茅の輪くぐりの神事が執り行われます。
正月から6月までの半年間の罪穢(つみけがれ)を祓う夏越しの大祓(おおはらえ)で、大晦日までの無病息災を祈願します。
私も毎年市ヶ谷の神社に行きます。
皆様はいかがですか。
私は、このような市井の人のささやかな祈りが好きです。
今回の相談事例は、突然に病気や怪我で生活が一変してしまったケースを取り上げましたが、お参りするときには、自分や家族のことに、ちょっとだけでも、友人や社員、お客様のことを、お祈りに加えるようにしています。
どうぞ、これからの猛暑から冬の厳しさにかけての半年間、皆様に霊験があらたかでありますように。
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沢木耕太郎さんの著書「無名」を読みました。
沢木さんのお父さんが、ある夏の終わりに脳内出血で入院し、在宅看護の後に亡くなるまでの短期間、病床の父を見守りながら、無数の記憶を掘り起こして、お父さんの素人俳句が書かれた帳面を通して、その無名の人生の軌跡を辿る物語です。
戦前は裕福な会社経営者の子として生まれ、戦災ですべて失ってから戦後は、町工場の一工員として、無名の人生歩んだお父さんが、私の父とだぶり、残された少ない記録をもとに、父の軌跡を辿ってみたくなりました。
私の父も最後は脳内出血で亡くなったのですが、大正時代に裕福な米問屋に生まれ、家業崩壊した戦後、シベリア抑留から復員した後は、生きるために色々な仕事をした、まさに無名の人の一人です。
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無名であることは、目立たないということでもあります。
陰徳や陰膳などの言葉にあるように、人知れず、誰が見ていなくても、という所作にもつながってくるような気がします。
失礼な言い方になってしまいますが、私は、その辺りを歩いている、まさに無名のおじい様、おばあ様を見るたびに、歴史を乗り越え、生きる工夫と対処を秘めている方という感じがして、畏怖することがままあります。
私は仕事を通してでも、普段の生活でも、少しでも、世の中にある、無名の人の陰膳の痕跡や生きる力を感じ取れる人間になりたいと願っています。
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仕事柄、老人ホームへお客様にお会いしに行く事がたまにあります。
今回の事例のように、突然「ほとんど何も出来ない自分」になってしまうことは、誰にでも起こり得ることです。
宮崎駿さんのアニメの中に、「ひまわりの家」という老人ホームのおばあちゃんの視点で見た唄があります。
いまは自力では歩けなくなってしまった人の、心情が胸を打ちます。
体が普通に動いていたときは、何のありがたみもなかったことが、動けなくなってみると、そんな一つ一つが愛おしくなる気持ちが伝わってきます。
無名の、そして普通の日々を大切にしたくなる詞ですので、最後に、その一節を紹介させて頂きます。
「もういちど自由にあるけたら
おもいっきりお掃除をして
お洗濯をして お料理をつくって
お散歩に出かけよう」
「おむかえは まだ来ないから
窓のガラスをふくだけでいいの
もういちどだけ踊りたい
そよ風になって」
―― 映画「崖の上のポニョ」アルバム収録曲「ひまわりの家の輪舞曲(ロンド)」(作詞:宮崎駿、作曲:久石譲、唄:麻衣)より引用
竹内 健二
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