牧師 中森 博 さん
昭和3年、私は愛媛県の高知県境に近い農村に生まれました。
お遍路さんの鈴の音が響く環境で、お釈迦さまやお大師様の話は子供のころから慣れ親しんだ環境で育ちました。
しかし世の中は戦争一色に染まりつつあり、小学校六年の卒業の年にハワイ真珠湾攻撃で対米英戦争も始まりました。
当時の当然の義務として私は15歳、昭和18年に海軍飛行予科練修生となり入隊しました。
特攻戦士への訓練は想像を絶しまさに命がけの訓練だったと思います。
そして昭和20年6月、鹿児島の特攻基地に配属されました。
基地からは、次々と夜半に、まだ17、18歳の同期の桜たちが沖縄に向けて飛び立って行きました。
ところが、出撃命令を待っていた7月半ば、私は伝染病の赤痢にかかり隔離されてしまい、そのまま8月15日の終戦を迎えたのでした。
米軍上陸あらば最後まで決戦をと、生き残った仲間と大隅半島の山に立て籠もりましたが、やがて故郷の親を思って下山しました。
失意の中にも、故郷で、生かされた命を、いかにして故国の復興に捧げるか、考え始めました。そのような時、ユネスコと出会いました。
ユネスコは、国際連合教育科学文科機関の頭文字をとった略称です。「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」という理念に触発され、故郷で小学校の教師をしていたときにペスタロッチ教育を実践したり、その後昭和60年代には、日本ユネスコ児童文化協会長として、多摩に児童英語育センターを作り語学教育を通じてユネスコの理念を浸透させようと色々と実践しました。
ところで、私とキリスト教の出会いですが、昭和23年に愛媛から東京に出てきました故郷の出身者を頼って中央区の入船町に寄宿することができ、近くに救世軍キリスト教主義の慈善団体)の京橋小隊(教会)があり、英語の聖書研究と英会話教室が開かれており、そこに参加し、ペスタロッチの教育精神を深く追求し、英語の勉強の機会に恵まれました。
救世軍は、街頭生活者の支援や厳しい環境にある児童や女性の保護、老人の介護などを積極的に行って伝道をしておりました。
上京した頃、駅のガード下や公園には、至る所に戦争で親兄弟を亡くし着のみ着のままで野宿する戦災孤児たちがたくさんいました。
私は、この子供たちに心を奪われ、深く心を痛めました。大人のやった戦争のために親を失い、家も失い、学校へも行かず靴磨きやモク拾いをして野宿している、この最も弱い戦争の犠牲者を救い助けるのは大人の責任ではないかと国に談じ込んだりもしましたが、自ら出来ることとして、救世軍の活動に身を投じたのでした。
昭和27年に救世軍の士官学校を卒業し、救世軍から独立して日本救国伝道移動教会を創立し、バスを教会として各地を講演して回りました。
その後、青少年育成を目的とした国際スカイパイロット連盟の日本代表や、孤児育成学園の園長などを歴任し、日野市豊田に豊田国際英語学校を完成させました。
私の戦後の半生、50歳までは青少年育成に捧げてきましたが、この先日本は未曽有の高齢化社会になることを見据えて、残りの後半生は老人は如何に生きるべきか、という活動に捧げようと、昭和55年、52歳のときに妻の郷里である南房総に転居し、シルバービジョン研究会を立ち上げました。
ここで老人施設づくり、高齢者向けの住宅地フラワービレッジの開発などに着手しました。
また高齢者の結婚を促進するための組織も作り活動を始めました。
平成5年秋からは、ローズマリー公園内に建設したチャペル風施設ホールで結婚式を望む若者が出て来て、結婚式の司式をすることが増え、それを知った鴨川市、館山市、南房総市のホテルの多くがチャペルを作り、私に結婚式の司式を依頼してくるようになりました。
平成10年、70歳のときには、丸山ブライダルセンターチャペル結婚式場を建設しました。
このチャペルは5年後に妻の病気により維持が難しくなってしまいましたので、現在は老人介護施設デイサービスセンターとして社会福祉法人に譲渡することにしました。
結果としては、この南房総の地に来てから20年余りで、老人介護施設が実現したことは、夢のほんの一部が叶えられたものと喜びとするところです。
それにも増して、この房総の地で、数百組の幸福なカップルの結婚式を司式することが出来たことは、70年前に体験した戦後の荒廃した青少年の姿を思い浮かべると、至福のときでありました。
司式のときに申し上げることがあります。
それは夫婦とは見返りを求めない愛であり、互いに相手を許す愛であると申し上げます。
違う境遇に育った二人が家庭を築くのですから、当然相手が自分の意思に100%合致することは難しいのです。
房総の生んだ大宗教家日蓮大聖人の御書の中に「異体同心」という言葉があります。体が異なっていても心が同じということでありますから、夫婦というものはかくあるべしという意味では聖書の教えと同じくするものだと思います。
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中森さんが「ぜひ次世代に伝えたい」との熱き思いで綴られた随想録やご著書から、『母と子』をテーマに再録した「この母ありてこそ ~ 次世代を担う子供達と、かつて子供だった全ての大人達へ」も、どうぞお読みください。