プライベート不動産会社について、わかりやすくご理解いただきたく、今月も実例をご紹介します。
今回は、「究極の終活」と言えるような事例です。
また、生涯のお抱え不動産屋を目指す当社の在り方についても、ご参考になれば幸いです。
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「また、厄介事のご相談です。」という書き出しで始まるメールをO様からいただいたのは、今から5年前の初夏でした。
文面を読みすすめますと、これは何とかお役に立ちたい、「出来れば」レベルではなく、「必ず」レベルでしようと、こちらの気持ちが固まりました。
その内容とは、いま末期癌の状態で、余命半年の宣告を受けた、妻子があとで戸惑わないように、可能な限り家のことや、資産の整理などをしておきたい、ついては相談にのってもらえないか、という深刻なものでした。
ときどき、終活のご相談を受け、色々な専門家を交えてお手伝いをしますが、その「家のこと」の意味が、余命がある半年の間に、妻子のために一戸建てを購入したい、それも住宅ローンを使って、というご要望だったのは、30年以上この仕事をしてきても、初めてのリクエストでした。
それも、実際に住宅を案内したり調べたりできない遠い関西の地でした。
今回のご相談があったさらに5年前に、浦安の住宅をご売却するお手伝いをして、その後、ご実家のある関西に行かれ、賃貸住宅にお住まいでした。
その10年の間にあったさまざまなこと、心の葛藤などを経て、私にご連絡があったのは、ご本人も無理な注文で迷惑をかけてはいけないと、ご自分で色々な手立てをしてみて、それでも駄目だったからと察しました。
すぐにお電話をしようと思いましたが、病状によっては電話が難しいかも知れないと思いなおし、メールで返信し、それが半年の間に200通以上のメールをやりとりする始まりとなりました。
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メールのやりとりで、こんなことがわかりました。
・ 地元の不動産屋に行ったら、面倒と思われたのかどこでも断られたり、無理ですと言われた
・ 家は現金で購入することはできるが、妻子の生活費、老後資金のためにとっておいてあげたい
・ 遺族年金や相続した貸家の家賃で、払える範囲内のローンにしたい
・ その他、預貯金の長期的な活用、相続税の低減方法、相続した貸家を処分するタイミング、など、生きていれば今後考えなくてはいけないこと全て
資産を丸裸にしてご相談頂いたこともあり、顧問税理士やファイナンシャルプランナーなどにも協力を仰ぎ、半年にわたるプライベート不動産屋活動がスタートしました。
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一番困難だと思われた私からは遠隔地での住宅購入のことを、すぐに始めました。
まずは余命半年でも、ローンを融資してくれる銀行をあたり交渉すること(もちろんすべて正直に話してです)、遠隔地で見に行けないので、私だったらここをチェックするというポイントをアドバイスして、ご自分でチェックしてもらう方法にしました。
結論だけ申し上げますと、希望の場所に予算内で、住宅ローンも都市銀行から借りられ、3カ月後に住宅は手に入りました。
間に合いました。
私も、たいへん良い経験をさせていただきました。
さまざまなご相談をいただくものですから、やったことがない事柄も多いのですが、相手の立場で考えて、なおかつプロとして長期間の行く末に対処できるよう、転ばぬ先の杖になること、という基本はみな同じであることが実感できました。
あるとき、とても感銘を受けたO様のことばがありました。
たとえ余命宣告されていても、銀行が貸したくなるような材料を用意していただき、交渉のシナリオを書いてお送りしたところ、「難しいことををやり遂げるのは楽しい。
あと3カ月くらいの命かもしれないですが、生き甲斐ができました。」
という返事が返ってきたのです。
明日が世界の終わりでも種を植える、という宗教家の名言があり、心構えとしては頭で理解していましたが、ほんとうに、あと3カ月くらいの命の方から、生き甲斐という言葉が出て来たことに感動しました。
私も、その生き甲斐を、一緒に創っているのだという一体感が、とても嬉しかったのです。
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残された短い時間で、命を削って大変難しいことをやり遂げようとしている方に、頑張ってください、とか、必要以上に労うことは、私は失礼なことだと思いましたので、いまメールを読み返しても、そのようなことばが、まったく見当たりませんでした。
むしろ、次はこれをして下さい、とか、時間がないのでこのことを急いで下さい、などと、書いてありました。そのことをO様も分かって下さり、生き甲斐に感じてくださったことが救いでした。
家を購入された年のクリスマスの日に、いよいよホスピスに入ることになったときのメールは、生涯忘れられない、私の人生、仕事の礎となりました。
(12月14日 O様からのメール)
いろいろとほんとうにありがとうございました。
そろそろゲームオーバーの時が来たようです。
実は今週初から体調がおかしく受診したところ、左肺全体が「胸水」に浸かっている状態にて、目下緊急入院中です。
このままで現生とのお別れはさすがに避けたく、医師の方でも、年末一旦帰還はできるよう最大限の手を打ってくれていますが、1月一杯までは無理と覚悟するよう、本日家内共々説明を受けました。あと一月でその他最低限のことを終わらせるよう、勝負です。
家内の方でも、いつになるかは分かりませんが、一息つける頃には、貴殿のことを思い出し、また(老後の安定した収入のために)不動産のことを考え始めるようになるかもしれませんし、小生もそれを望んでいます。
その際には、またなにとぞよろしくお願い申し上げます。
本当に、貴殿とご縁があったことは、大きな財産でした。上手く結べませんが、まずは御礼まで。。
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このメールをいただいた3週間後に、O様は永眠されました。
売っておしまい、の大手不動産会社を10年で退職し、一生涯のお世話役をしたくて独立し23年、少しづつ目標に向かって進んで来ましたが、O様との出会いが、「後のことは頼みます」と遺言で言われるような会社、かかりつけのプライベート不動産屋に全面的になろうと決心したきっかけになりました。
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その後のこと
お亡くなりになってから3年目のこと、柏市の障害者支援施設(障害の「がい」表記は施設の表記のまま)の相談長をしている私の友人から「障害者を自立させたくてアパートを借りに行っても、どこも貸してくれない。何とかならないか。」と相談がありました。
ふとO様の「落ち着いたら奥様に不動産で安定収入が入る道をつけて欲しい」という遺言を思い出し、奥様にご連絡しました。
奥様は大変乗り気になって下さり、当社で1年がかりで、その園の近くに土地を探し、障害者自立支援アパートを建てて頂きました。
いまでは当社が管理運営しています。
すべてお任せ頂き、ご縁が20年、30年とお子様の代まで続けられることを名誉に思わずにはいられません。