森信三さんの有名な言葉で
「人生、出会うべき人には必ず出会う。しかも、一瞬遅からず早からず」
があります。老若男女を問わず、多くの方が人生の運命的な出会い、恩人の出現、その後の方向を決めることになった人との出会いに引用されています。
私自身、そのような体験が数多くあり、お客様との出会いも、会って間もないのに、「言わずとも分かり合える」、相手がして欲しいことと、こちらがすることとがピタッと合い、まさに呼吸が合った瞬間の嬉しさを何度も味わってきました。
でも、宿命で片付けてしまうことに「ちょっと違う気がする」と常々思っていました。どうして、ピタッと合うべき時に会えたように思うのだろうと、何となくモヤモヤしていました。そんな時、さらっと見過ごしていた森信三さんの続きの言葉で腑に落ちました。
「しかし、内に求める心がなければ、目前にその人が居ても、縁は生じない」
ドラマチックな冒頭の前段は語られることが多いのですが、語られることの少ない後段のほうが本当に言いたかったことなのではないかと思いました。
こういう人と会いたい、こういう仕事がしたい、こうなって欲しい、という「願望」が先に強くあって、それが出会った後にピタッと出会ったように感じたのだと理解するようになりました。
そのように考えて振り返ってみると、終の棲家探しを託してくださったシニア夫婦、アドバイス通りに方向転換してくださった若い夫婦、人生最後の財産処分を、あ・うんの呼吸で任せてくださったお祖父様、お祖母様・・・。それぞれが、こんな方にこんなお手伝いをしたい、こうなって欲しいと日ごろ、願望していた通りでした。『偶然と錯覚』からの呼吸の合った出会いをもっと得られるという『可能性』につながって、とても元気が出てきました。
森信三さんには、腰を立てろとか、一度に二つの物を口に入れるな、とか、いまだに、時々、躾られているダメな大人の私ですが、これからも強く、たくさん願望を持っていきたいと思います。
あなた様の願望と、偶然のようにどこかで出会えて、呼吸の合った瞬間を味わい、喜び合えることを切に願っています。
竹内 健二
呼吸の合った後日談
新緑号『居は気を移して』で、92歳のおばあ様が住み替えで元気になった、という話を書きました。この方とも呼吸が合った住み替えで、かなりの難事を乗り越えられたのですが、この9月に同居されていた娘さんから電話があり、お亡くなりになったことを知りました。97歳でした。
息を引き取る直前まで「ここに来て幸せだった」といい続けていたそうです。最後は、病院に入りましたが、あの家に帰りたい、帰りたいと、お医者さんの許可をもらって、家に戻してもらったとのことでした。これもここでしあわせにな一生を過ごして欲しいというこちらの願いが叶ったようで、お線香をあげながら、遺影に向かって「良かったですね。私も幸せです。」と心の中で声をかけさせて頂きました。