梅雨の合間の6月27日に佃・月島の歴史散歩をしました。前回に引き続き、今回も中央区文化財サポーターである黒野さんに案内をお願いしました。生まれも育ちも月島の黒野さんからどんな話がお聞きできるか、メモを片手に集合場所である西仲通り一番街入口からスタートしました。黒野さんの案内でレポートします。

 

 月島駅前を出発

「石川島、佃島、月島は人工島です。石川島、佃島は江戸幕府によって埋め立てが行われ、月島は明治政府により埋め立てが行われた1号地で、碁盤の目のように東西南北の道路が整備せれています。月島の名前の由来は、はじめ築島だったのが、月が綺麗に見えることから現在の月島になりました。」

月島の成り立ち

「じゃあ、スタートしましょう。現在の西仲通り(もんじゃストリート)は昔、石川島の造船所で働く工員さん達が集まる屋台が軒を連ねていました、当然トイレなど無かったところで唯一解放されていたのが、都内現存最古の交番だったそうです。」
(現在は、月島警察署 西仲通地域安全センター)

 

隅田川テラスへ

「皆さん左の方の橋を見てください、昭和15年に実現しませんでしたが、オリンピックと万博のために造られた勝鬨橋です。右手の方の橋は、昭和39年の東京オリンピックのために造られた佃大橋です。どちらもオリンピック開催のために整備された橋なのです。これから佃島誕生とともに架けられた佃小橋、佃堀を見ながら佃一丁目に入りますが、ここは地元の漁師さんが自分達の手で埋め立てをした場所です。」

そう言われると建ち並ぶ家並の風景や空気感に歴史の持つ風情が感じられました。また、佃小橋の橋下には、3年に一度住吉神社の大祭でたてる大幟の柱や枠木が水中保存されていると聞き、驚きしばらく覗き込んでしまいました。それから、住吉神社、石川島灯台跡、隅田川テラスの量水標などを廻り、江戸時代の古地図での説明を受けながら、最後に天台地蔵尊をお参りしました。

子育て地蔵へ

「これは樹齢350年の銀杏の木です。周りを住宅が取り囲んでいます、その下には半径50メートルくらいの範囲で根が張っていますが、住んでいる方達は、そのまま銀杏の木を大切に育てています。地域の子供達もすくすく元気に育つようにと、子育て地蔵とも呼ばれています。」

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今回も黒野さん、ありがとうございました。あっという間の2時間でした。湾岸エリアでは、再開発が進行中、高層マンションが建ち並ぶなかで、ひっそりと昔ながらの伝統や文化、街並みを守り続けている人たちが生活しています。大切にしていきたいですね。次回は、話題の「築地」です。


株式会社すまいる情報東京
井上 真一